豊臣秀吉の刀狩り

刀狩りとは、武士以外や反対勢力が持っている日本刀・槍などの武器を提出させることですが、その始まりはかの有名な武蔵坊弁慶だと言われています。武蔵坊弁慶は千本の日本刀を奪い取るという悲願を立て、あと一本のところで成しえなかったと言われています。

刀狩りの歴史として有名なのは、豊臣秀吉だと思います。豊臣秀吉は、日本全国に刀狩りの号令を発したとされています。その内容とは、百姓に向けての三カ条であったとされています。

まず、百姓が刀・脇指・弓矢・槍などの武器となるものを持つことを固く禁止して、武器を所持して年貢を納めないことや、集団による一揆をおこすことなど役人の命令を聞かないものに罰を与えます。

次に、提出させた武器は、作っている寺や大仏の釘、細目をつなぎとめるための鎹などの原料として利用します。それによって、百姓はあの世に行ってからも救われることができます。

最後に、百姓に必要なのは農具であって、耕作に精を出せば、代々安心して暮らすことができます。武器を提出させるのは、百姓を考えてのことで、感謝の気持ちを持って耕作に励むことが大切です。

このように、できるだけ多くの人が理解できるように、わかりやすく書かれています。また、集めた刀などを大仏の釘や鎹として利用するので、百姓は子子孫孫の代まで功徳をつかんで、助かるというように呼びかけています。これは、百姓の心を動かすために、とてもよく考えられた文章だと思います。そして、この三カ条は日本全国を駆け巡り、すさまじい早さで実施されたと考えられています。その結果、集められた大刀、刀の類の量は百万本ほどあったのではないかと言われています。