敗戦後の日本刀の扱い

第二次世界大戦の末期に日本は、降伏するための条件を決められたポツダム宣言を受諾しました。そのポツダム宣言の中に、「武装を解除」や「戦争のために再軍備」、「武器」などの表現がありますが、これは銃火器などの武器もあれば、すべての日本刀も意味していると考えられています。日本国内には、日本刀を提出しなければならない指令が飛びました。また、もし日本刀を隠し持っていた時の最悪なケースは、銃殺されてしまうほどの重いものだったとされています。

しかし、そのようなことがある一方で「日本刀救済運動」という活動が極秘裏に行われていたそうです。その内容は、善意を持っている日本人が所有している、骨董品として価値のある日本刀は、厳選なる審査を行った上で、日本人が保管することを許可するというものだったそうです。また、美術品・骨董品としての価値の審査は、日本側に委任し、所持の許可証などは日本政府が発行して、連合軍が確認する。そして、許可証のある日本刀に関しては、日本全体で十分な保護を施すという対処だったそうです。このような一方では日本刀を危険なものとして扱い、また一方では歴史的に価値のある品だと考える複雑な問題に対して、連合軍のある大佐がとても熱意を持って尽力していたそうです。

この「日本刀救済運動」が実践されてからは、何十人という審査委員が動員され、所持の許可証が与えられた日本刀は何万本にも及んだとされています。しかし、審査が行われても返還するにあたって、あまり良くない地域などもあったそうです。

終戦時に日本全国から提出された日本刀などの刀剣類は、日本軍が使っていた軍刀も含め、何百万本もあったと考えられています。その後、なんども審査はあったのですが、返還された刀の数から考えれば、ほとんどの刀が提出されたままで行方が分からない状態だと考えられています。