徳川家の威厳

家のお世継ぎに日本刀を贈るということは、昔から武家社会の伝統となっていたと言われています。それは、単純に守り刀という意味だけではなく、その時の政権を握っているという権力を現すものでもあったと言われています。徳川家の中でも初期には、子どもが生まれて七日目のお祝いである御七夜に、全国の大名から刀剣が献上されていたそうです。また、徳川の御三家である尾張・紀州・水戸からは、三家とも刀は長光という刀工のもので、脇指は来国次という刀工のものです。この二つの組み合わせは、おそらくですが「長く光り輝き、来るべき国を継ぐ」という意味を持たせるために合わせたものだと思います。徳川家の人を従わせる力に対して、最大の尊敬とそれが続くことを祝っていると考えられます。

また、大名によっても献上した刀は異なります。例えば、大大名と呼ばれる地位にあった家は、その時代に最も高価だったと言われる名工の刀と脇指という、日本刀の大小を献上していたとされています。そのような組み合わせができるのは、大大名の家の格式があってこそだと思います。次には、譜代大名と呼ばれる地位にあった家や外様の大大名は、大小のどちらかに名工を入れた組み合わせで献上していたとされています。そのような組み合わせになったのは、権力に対してのさまざまな目論見があり、それを成し遂げるために厳しい思いをしていたと考えられます。他にも、刀を一口だけ献上する大名や脇指を一口だけ献上する大名など、その家に合った日本刀を贈っていたと考えられています。しかし、いかに脇指を一口だけといっても、そのほとんどが名工の作った日本刀であったことに変わりはないのです。それだけ、徳川家の威厳は満ちていたと考えられます。